「Not Doing, but being.」
2014年 05月 16日
自分の心が限りなく透明になり
穏やかで安らかで凪いで
くると
わたしの余白に、入ってくるもの の 質、みたいなものが
変わってくるから 不思議
今、届いた致知のメルマガ です。
良かったら ご覧下さい。
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今日の一言 平成26年5月16日(金)
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人生で遭遇すること、
それらに真剣に向き合うことで、
おのずとその人の人生と
その意味が浮かび上がってくるのではないかと思う。
探して見つかるものではけしてなく、
今を一生懸命生きる中、
「そこにある」ことを見つけるのが、
その人にとっての人生の意味のなのではないかと思う。
「Not Doing, but being.」であるのだろう。
――『死ぬときに人はどうなる10の質問』(大津秀一・著)
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V.E.フランクルの以下の言葉は
大きな示唆を与えてくれる。
非常に有名な、彼の根本の主張の一つである。
彼は語る。
「もし患者に、自分の人生の意味は何なのだ、
と聞かれたら何と答えるべきだろうか。
医者が一般的な言葉で
これに答えられるとは思えない。
人生の意味は人によってさまざまであり、
時々刻々変化するものだからだ。
大切なのは一般的な人生の意味ではなく、
いま現在のその人にとっての人生の意味なのだ」
「人生において遭遇するそれぞれの状況は、
人に与えられた試練であり、
解決すべき問題を提起しているのだ。
そう考えると、
人生の意味は何かという問いかけは、
実は逆なのである。
結局のところ、
人生の意味など問うべきではなく、
自分自身がそれを問われているのだ
ということに気がつくべきだ。
つまり一人ひとりが、
人生からその意味を問われているのであり、
自分自身の人生のすべてを引き受ける、
つまり責任ある生き方をすることによってのみ、
それに答えることができるのだ」
と。
人生の意味を問うのではなく、
問われているのだというのだ。
人生が、あなたに問うている、という。
発想の転換である。
私も、人生には意味があると思う。
しかし、考えても考えても
わからないのではないかと思う。
意味を求める限り、
それは出会わないものなのではないか。
人生で遭遇すること、
それらに真剣に向き合うことで、
おのずとその人の人生と
その意味が浮かび上がってくるのではないかと思う。
探して見つかるものではけしてなく、
今を一生懸命生きる中、
「そこにある」ことを見つけるのが、
その人にとっての人生の意味のなのではないかと思う。
「Not Doing, but being.」であるのだろう。
『死ぬときに人はどうなる10の質問』(大津秀一・著)
→ http://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1164
『大切なのは一般的な人生の意味ではなく、いま現在のその人にとっての人生の意味なのだ』
わたしも そう、思います。
by w-rainbow-rieko
| 2014-05-16 09:53
| 心に響いたこと