憧れ。


by w-rainbow-rieko
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明後日6日に今図書館で借りている4冊を返却しに行くということもあり

もう一度、読みました。


『ブッダの教え一日一語 ~今を生きる366の智慧~』

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1回目に読んで、うん、って思った箇所

2回目に読んで、また、うん、って思った箇所

を、自分のために、ピックアップしておこうと思って

書き出しました。


以下、抜粋です。(長いので、前半と後半に分けました。)





1月 

『焦って悩む世の中で、落ち着きを保って楽しく生きよう。
 焦って悩む人々の中で、落ち着いた人間として生きてゆこう。』



21日 【ノーマルライフ】

シンプルライフというのは、そうでない生き方のおかげで成り立っているのです。
ファーストライフが悪いのだったら、スローライフも悪いのです。
私たちに必要なのは、ノーマルライフなのです。
何かを敵にして対立する生き方ではないのです。
焦ることもなく、止まることもなく、自然に流れるような生き方がすばらしいのです。



23日 【光からさらなる光へ進む道】

私たちは、それぞれの願いや希望を抱き、自分の「光」にして生きています。
しかし、その願いや希望は、私たちの心を支配する欲や怒り、
無知という煩悩の「暗闇」から発しているのです。
破壊的エネルギーである煩悩から生まれた願いや希望は、
「光」ではなく「炎」となって、人生に大きな悩み苦しみをもたらします。
ブッダは、「暗闇」から生まれた願いや希望を捨て、
「いま、正しいことを行う」生き方を示されました。
それが中道・八正道です。
「気づき」という光から、「智慧」というさらなる光へ進む道なのです。



30日 【豊作でも凶作でも】

仏教の考え方は、「どんなときにでも幸福」ということなのです。
畑をつくることも幸福、水をあげることも幸福、肥料をあげることも幸福、
雑草をとることも幸福、成長を見守っていることも幸福、
実って作物を収穫することも幸福なのです。
もしも凶作になっても、いい経験を積んで心が動揺しないことを学べるから、それも幸福です。
ものごとを客観的にみる人は、不幸に陥ることはありません。




2月

『世間のものごとに触れても、心が動揺しないこと、憂いがなく、汚れがなく、
 安らかであること、これが最上の吉祥です。』



6日 【その瞬間で気づいたら】

何事も「それをする瞬間」というものがあります。
悪いことをするにしても、怒るときにしても、「その瞬間」があるのです。
大切なことは、「その瞬間で気づく」ことです。
瞬間の感情というものは、気づいた瞬間に、完了してしまうのです。
瞬間で気づいたら、その瞬間で問題は完了します。
後で悪い結果にはなりません。



8日 【波立たない心】

自由な心とは、どんなことがあっても波立たない、揺らぐことのない心です。
揺らがない人は、何か反論されても、感情的になることはないのです。
感情的になるのは、すでに「負けている」ということなのです。




3月

『この法(仏道)は少欲の人のものであり、多欲の人のものではない。
 この法(仏道)は足りることを知る人のものであり、不満な人のものではない。』



6日 【本当に必要であれば手に入る】

観念的に単に「ほしい」というのではなく、自分に本当に必要であれば、
そのものは簡単に手に入るのです。
必要なものは、自分で獲得する能力が備わっているからです。
必要でないものを「ほしい」とがんばるから、うまくいかないのです。
具体的に必要であれば、しっかりとがんばれるのです。
あたふたしなくていいのです。



7日 【「得る道」ではなく「捨てる道」】

仏教は、「得る道」ではなく、「捨てる道」を教えます。
捨てる生き方を歩もうとすると、身も心も軽くなって、楽な気持ちがずっと続きます。
「得る道」は、依存を増幅する道です。
不自由な道です。
「捨てる道」は、自由を獲得する道です。



8日 【鳥は足跡を空に残さない】

悟った人は、すべてのものが無常であることを実感して生活します。
だから、何も溜めることはありません。
心に何の不安もありません。
食事さえも、体を維持するために必要な量だけに限ります。
鳥が空に足跡を残さないように、悟った人の行方にも、足跡はないのです。




4月

『物惜しみする人は天界に行けない。愚か者は布施を賞賛しない。
 しかし賢者は布施に随喜し、それによって彼は来世に幸福となる。』



2日 【「役に立つ」とは】

人は、何かしら他と関係をもって生きています。
生きているということは、関係性です。
その関係性の中で、何か「役に立つ」ことが大切です。
「役に立つ」といっても、決して大それたことではありません。
お茶を入れてあげたり、微笑んだり、ちゃんと挨拶するとか、そういった小さなことなのです。
それによって、人の気持ちを穏やかにさせたり、気分よくさせることが
「役に立つ」ということです。



3日 【布施とは何か】

「役に立つ」というのは、生命を支えること、喜ばれることです。
生命は他から支えられないと、成り立ちません。
生きるとは、あらゆるものに支えられていることです。
それは、「布施されている」ということなのです。
だから、多量の布施を受けて生きている私たちは、
「他の役に立つ」という布施を行わなければならないのです。
例えば、公園の空き缶を拾うとか、マナーを守るとか、そういう些細なことでも役に立つのです。



4日 【一人の行動は全体に影響を与える】

一人の行動ということが、全体に影響を与えるのです。
それは、地球全体にも通じるのです。
一人が勉強すること、挨拶すること、微笑むこと、それが社会全体の調和を守っていくのです。
自分という一人の行動がとても大切な価値をもつのだと分かれば、やる気が出てくるでしょう。



28日 【問題を解決するためには】

問題解決するためには、まず自分のエゴに気づくところが出発点です。
「あなたのためにやっている」と思っているところに、問題があるのです。
「人のため」と言いながら、「自分のため」にやっていることが多いでしょう。
「やらせてもらって、ありがたいです。
充実感が得られて幸せです」という気持ちがあれば、うまくいきます。
結局、すべては自分のためにやっていることなのですから。




5月

『怒っている人に対して、逆に怒らない人は自分と他人という両方に、
 有意義な行為をしているのです。』



17日 【親孝行できる人】

親に頼らない人が、親孝行しているのです。
はやく自立して、親に頼らないようになった人は、ちゃんと親を喜ばせます。
そして、親が優しくしてくれたこと、親切にしてくれたこと、叱られたこと、叩かれたことなど、
思い出す度に、「随分よくやってくれたなあ…」と感じたり思い出したりして、
笑ってしまえるなら、それは親孝行できる人です。




6月

『世尊の法(ブッダの教え)は、善く正しく説き示された、実証できる、普遍性があり永遠たる
 「来たれ、見よ(誰でも試して確かめてみよ)」と言える、実践する人を涅槃へ導く、
 賢者たちによって各自で悟られるべき、教えである。』



8日 【ブッダが説く「信」とは】

ブッダが説く「信」とは、根拠もなく、言われるままに信じることではありません。
何事も、自分でしっかりと調べて、理解して、納得していくことなのです。
仏教への「信」を確立するというのは、ブッダの説かれた真理を自分自身で調べて、
理解して、納得することです。
「信]
は、「智慧の開発」と切り離せないのです。
ですから、仏教が説く「信」は、「確信」と理解した方がよいのです。



11日 【自分で吟味して納得する】

真理だからといって、ブッダの教えをそのまま鵜呑みにする必要はありません。
疑問があったら、納得いくまで調べて、吟味すればいい。
それが仏教的な態度です。
もし自分に理解できないと思ったら、そこは保留すればよいのです。
学び続けて、能力が向上すれば、仏説はすべて真理であると、
自ら発見できるときが来るのです。
世間のことも、仏教の学び方を応用して勉強してみることです。
世間の知識は真理とは限らないから、客観的・科学的に調べた結果、
間違いが明白になったら、それを捨てる勇気をもちましょう。



21日 【「いいこと」と「悪いこと」】

「いいこと」とは、「自分が喜び、他人も喜ぶ」。
そして、「後悔しない」ことです。
「悪いこと」とは、「自分が苦しみ、他人も苦しむ」。
そして「後悔する」ことです。
自分には喜びであっても、他人に迷惑をかけるのは、いいことではありません。
また他人には喜びであっても、自分が苦しむのも、いいことではありません。
わずかでも後悔すると思うならば、そういう行動はやめましょう。



25日 【大事な栄養】

人間の栄養となる食べものは、米やパン、野菜や肉などだけではありません。
それらは肉体に与える物質に過ぎません。
私たちが「見るもの、聞くもの、嗅ぐもの、触れるもの、思考するもの」も、大事な栄養です。
これらも食べものと同じように、汚れたものはとってはならないのです。
気をつけて、清らかなものをとるようにしましょう。



26日 【心にも清らかな食べものを】

心にも栄養が必要です。
「何かをしたい」という意思も栄養です。
何かをしなければ気が済まない、いつも何かをやりたいという気持ち、それらも栄養なのです。
心は、自分自身が栄養となって、次の心をつくるのです。
清らかな心を栄養として、次につくられる心はまた清らかです。
心に汚れが入ると、次につくられる心も汚れてしまうのです。
だから身体の健康のために食べものを清潔にするのと同じく、
心の健康のために「今の心」を常に清らかにしておかなければいけません。




7月

『過去を追うことなく、また未来を願いゆくことなし。
 過去は既に過ぎ去り司もの、未来はまだ来ぬもの故に、
 現に存在している現象を、その場その場で観察し、揺らぐことなく動じることなく、
 智者はそを修するがよい。』



6日 【「いま・ここ」が妄想を止める】

妄想を止めるには、どうしたらいいのでしょうか。
「いま・ここ」の自分を観察することで、妄想は止まります。
そのために、具体的なやりやすい方法があります。
いま行っていることに、心を集中させるのです。
心がいまより一分前(過去)のことにも、一分先(未来)のことにも、
引っ掛からないようにするのです。
そうすると、妄想が止まります。
でも、油断しないで下さい。
心は「いま・ここ」から脱線したがるのです。
心は、破壊的な妄想が好きなのです。
そんな心のからくりに負けないように。



8日 【やるべきことは、目の前にある】

「何をしていいのか分からない。教えて欲しい」と言う人が、よくいます。
そういう人は、妄想に時間を費やしているだけです。
自分を見ようとしないで、人から評価されたいという思いだけがあるのです。
自分は何をしたらいいのか、それは、目の前にあるでしょう。
そのときやるべきことは、常に目の前にあるのです。それを淡々とやればいいのです。



16日 【知識ではなく智慧が不可欠】

知識は、なくては困ります。
しかし、ありすぎても困るのです。
知識は増えれば増えるほど、人生は重くなります。
そして、その知識はいつか消えてしまいます。
欠かせないものは、知識ではなく、智慧なのです。
智慧とは、その瞬間その瞬間に、正確に何をなすべきか、閃くことです。



17日 【智慧はいつでも正しい答えを出す】

智慧には主観がありません。
主観のないとき、智慧があらわれるのです。
主観がないと、あるのは、できごとだけ。
そのときには、いつでも唯一の答えがあります。
そこに選択はないのです。
だから、智慧のある人は、いつでも正しい答えが出せるのです。
コーヒーがこぼれたら、「雑巾で拭く」ということが答えでしょう。
知識で考えると、「いま拭かなくてもいい」とか「ほうっておけばいい」とか、
選択肢がたくさん出てきます。
しかし、どれも唯一の正しい答えではありません。



19日 【「得たもの」と「なったもの」】

知識はやがて消えますが、智慧は消えません。
智慧は、主観を破った状態であらわれます。
それは、特別な「何かを得た」ことではないのです。
「なった」世界です。
知識のように「得たもの」は重いし、智慧のように「なったもの」は重くはないのです。



21日 【いちばん効く薬は、慈しみと智慧】

心の頑固さという錆は、絶えずきれいに落としておかなくてはいけません。
放っておくと、ますます錆びてしまうからです。
心の錆にいちばん効く薬は、慈しみと智慧です。慈しみと智慧によって、
心の錆が消えるだけではなくて、錆びる原因までなくなってしまうのです。



22日 【「何もない」ことが智慧】

智慧とは、特別に「何かがある」ことではありません。
実は、「何もない」ことなのです。
心の中に、ある価値判断や尺度をもっていると、それに当てはまるものしか見えません。
何か知識にしがみついていると、それで頭が一杯で、他のものが入らなくなってしまいます。
頭の中に何もない場合は、そのときそのとき、何でも入ってしまい、理解が早いのです。
更に、得たものに執着しないで持ち運ばないのが、智慧のある人なのです。



23日 【一切の概念から解放される】

智慧があるというのは、心の中に先入観や価値判断がなく、
様々な概念で固まっていないことなのです。
一切の概念から心が解放された状態です。価値判断にしがみついたり、
知識にしがみつくと、心は柔軟性を失って固く狭くなります。
その心には、新しいものは何も入りません。
智慧のある人の心には、何でも入ります。
その瞬間に判断もできます。
しかし、それによって執着することもなく、また空(くう)に戻るのです。



24日 【智慧は水のようなもの】

氷や雪には形があるので、扱いにくい。
水は、何も形がないので、どんな形もとれます。
知識とは、色々学んで氷のように、形をつくることなのです。
たとえ美しい氷の作品であっても、それは固いのです。
智慧は水のようなものです。
形はありませんが、その都度その都度、何の抵抗もなく、
容れものの形をとります。
だから、智慧のある人には、解決できない問題は何もないのです。



27日 【あなたは何者か】

私たちは、いつでも「考え」が先にあります。
考えてから喋る。
考えて行動する。
だから、「あなたは何者か」ということは、「あなたが何を考えているのか」で、分かります。
暗い思考をもっていれば、暗い人になります。
汚れた思考をもっていれば、汚れた人になります。
明るい心でいれば、明るい人になります。




8月

『他人は自分の主観にとりつかれ、しがみつき、捨てられないでいるが、
 我々は自分の主観にとらわれず、しがみつくことなく、簡単に捨てられるように戒めよう。』



3日 【解決できないことは何ひとつない】

すべてのものごとは、起こるべくして起こるのです。
ところが自我は、ものごとを「起こさせよう」とか、「止めさせよう」とします。
そこに問題が起きるのです。
自分という主観を消してみれば、ものごとが客観的に見えてくるのです。
そこにあるのは、ただ行為だけですから、何のこともなく整理整頓できます。
客観的になった人にとっては、解決できないことは何ひとつないのです。
だから人は主観を捨てて、客観的になるべきです。



8日 【錯覚を破って自然体で生きる】

自我というのは錯覚の産物です。
それを発見した人の心は、想像を絶するほど軽くなるのです。
ちょっと言葉では表現できないくらいです。
「無我」だと分かれば、ものごとに、好きだ、嫌だ、苦しいのだ、大変だ、
等々の判断をすることはなくなります。
しかし、1日元気でいるのです。
無理をして体と心を痛めることも、怠けて後で悩む羽目になることもないのです。
自我は無いと発見した人は、自然体で誰よりも最高の働きをしてみせるのです。



11日 【主観を破ったところに智慧がある】

智慧とは、どんなときにあらわれるのでしょうか。
主観を破られたところに、智慧があるのです。
何かの見解、尺度、見方、立場などがなく、心が解放された状態なのです。
空気を見て下さい。
何の形もなく、何の抵抗もなく自由にどこにでも入ります。
智慧も同じです。
生きる上で起こる如何なる問題も解決してしまうのです。




9月

『今日こそ努め励むべきなり、誰が明日の死を知ろう。されば死の大軍に、我ら煩うことなし。
 昼夜怠ることなく、かように住み、励む。
 かは正に「日々好日」と、静寂者なる牟尼(むに)は説く。』



10日 【無邪気な子供のように】

小さな子供を見て下さい。
シャツのボタンをはめられたとか、自分で靴を履けたとか、ささいなことに大喜びしますね。
私たちも、毎日の出来事に対して、子供が初めて成功したときのように充実感と達成感を
得られれば、とても楽しく、明るく生きることができるはずです。




10月

『これらの法(教え)が善であり、欠点なく、識者が奨励するものであり誰かがそれをすべて
 実践すれば有益であり、楽のためになる、とカーラーマ村の皆さんが自ら知るときは、
 皆さんそれらの法(教え)を学び、実践しなさい。』



16日 【巨大な能力】

人間には、巨大な能力があるのです。
ところが、私たちはそれを発揮できないでいます。
能力を発揮できないのは、自分で自分を制限しているからです。
そして、そのことに気づいていないのです。
他人に自分を合わせようとしたり、世の中で成功しているパターンに
自分を当てはめたりしようとすると、自分で自分を縛ってしまい、
能力は制限されてしまうのです。



27日 【自分の心を育てる】

両親は、子供のことを我がことのように心配してくれます。
たとえ悪事をはたらいて刑務所に入ったとしても、親は子を無条件で愛してくれるものです。
しかし、そんな親にも与えられない幸福を、
自分で自分にプレゼントできることを知っていますか?
正しく育てられた「自分の心」こそが、他の誰よりも優れた、究極の幸福を与えてくれるのです。
もしあなたが幸福になりたいのなら、他人の愛情に期待するのではなく、
「自分の心」を育てることです。



31日 【学び続ける人は花が咲く】

「分かりたい、学びたい」と真剣に求めている人は、ほんの少しでも真理に触れたならば、
すぐにそれを理解することができます。
舌がちょっとでもスープに触れれば、味が分かるように。
「自分は何も知らない」として、学び続ける人は、必ず花が咲きます。
「私は知っている」と言う高慢な人は無知で終わります。
スプーンがスープの味を味わえないように。
「私は何も知らない」と言う謙虚な人が賢者になる理由を、ブッダはそう説いたのです。




11月

『善行為をする人は、この世で喜びあの世でも喜ぶ。
 善行為をしてよかったと、天界に生まれてなおさら喜ぶ。』



26日 【無常は可能性に満ちている】

無常というと、否定的で厭世的なイメージを抱く人が多いかもしれません。
しかし、無常とは、とても可能性に満ちた真理なのです。
すべての現象は無常です。瞬間、瞬間、変化しているのです。
物事は、変化するから「ある」「存在している」と言えるのです。
変化しないものは、存在しないのです。
私たちも、息を吐いたり吸ったりする度に、新しい自分に生まれ変わっているのです。



28日 【無常こそが存在のありよう】

この世の中で変化しないものはありません。
無常こそが存在のありようなのです。
無常という真理を認める人は明るく、活発になります。
自分もすべてのものも、絶えず変化することを知る人は、心の安らぎを経験します。




12月

『あたかも母が、たった一人の我が子を命がけで守るように、
 そのようにすべての生命に対しても、無量の「慈しみの」心を育てて下さい。』



1日 【ブッダの教えは常に新しい】

ブッダの教えは、二千五百年も経っていますが、決して古くなりません。
その教えは、常に「新しい」のです。
それはそのはずです。
ブッダは、生きることに対する真理を語ったからです。
ブッダは、「どう生きるべきか」「生きるとは何か」を語ったのです。
時代がどう変わっても、科学が如何に発達しても、生きている私たちの問題は常に重大です。
生きることに対する真理は、常に新しいのです。



11日 【すべての生命が幸福でありますように】

慈悲の心を育てるには、どんなときでも、
「すべての生命が幸福でありますように」という気持ちを育てていくのです。
そして、できるだけ怒らないように気をつけます。
ひとたび怒ったならば、慈悲の心は消えてしまうからです。
慈悲の心は一切の生命に対して、徐々に広げていくものです。
慈悲の心が生まれてくると、エゴの幻想が消え、主観の問題も消え、心が解放されるのです。



17日 【自分を手がかりにする】

自分を手がかりに真理を発見することが、仏教の修行の目的です。
よい人間になろうと思っても、そう簡単にはなれません。
そのような考えは放っておいて、ひたすら、今の自分に気づくことに努めるのです。
気づきの実践で真理を発見すると、心の汚れは消えてしまいます。こだわりが消えて、
心の自由を味わうのです。
そのために、外から別の自分が観るように、客観的に自分自身を観察するのです。
それが、自分を手がかりに真理を発見する方法です。



18日 【心のパターンが見つかる】

ブッダの瞑想では、今生きている自分を観察するのです。
観察すると、まず身体の働き、次に感情の波などが見えてきます。
更に、心のパターンも見えてきます。
いつも、こういうときに怒りが出てくる、トラブルを起こしてしまう、寂しくなる、等が見えてきます。
気がついたとき、今の膠着していた悩みから解放されます。
同じ問題が二度と起こらなくなります。
心の安らぎが得られます。



25日 【感情に栄養を与えるのは、自我】

感情に栄養を与えるのは、自我です。
だから、自我がなくなれば、その感情は壊れてしまいます。
「痛い」と言ってしまうと、そこに自我があります。
すると、苦しみが訪れるのです。「痛い」ではなくて、「痛み」と観るだけでいいのです。
感情というのは、無知によって生起したものだから、
感情を客観的に確認するだけで消滅してしまうのです。



29日 【たった一切れで】

普段の食事そのものを、瞑想として体験してみて下さい。
きっと新発見があります。
今まで経験したことのない、食べものの微細な味が分かります。
ニンジン一切れでも、食べる行為をよく確認しながらいただくと、
素材の本来もっている味・香り・感触が、びっくりするほど感じられます。
たった一切れでも、とてつもない幸福感、安らぎを与えてくれるのです。
体の細胞一つひとつが感動します。
そして、たちまち健康になります。



30日 【些細なところから落ち着く】

ゆっくりと丁寧に食事をしていると、最初は苛立ちが出てくるかもしれません。
しかし諦めないで、実践してみるのです。
丁寧な食事ができるようになれば、人生の様々な苛立ちも、消えてしまいます。
日常の些細なことから、ひとつずつ落ち着きを体得していけば、
人生はいつでも落ち着けるようになるのです。
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by w-rainbow-rieko | 2015-05-04 09:34 | 心に響いたこと