憧れ。


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出会い と 出合う


は違うんだ、って。



今朝、分かった。



これを、読んで、分かった。



目が覚めて、携帯に届いていた致知のメルマガ


読んで、


布団の中で、


涙が


こぼれた。



-------------------------------------------------------------


 ~致知出版社が贈る人生を養う言葉~


 兵庫県の小さな町で55年間、
 教職者として一生を捧げた東井義雄先生。

 百千の灯あらんもわれを待つ灯はひとつ

 東井先生によるこの歌には、
 一つでも多くの家庭が、
 子どもたちをやさしく包み込むような、
 温かい灯を絶やさないでほしいとの
 願いが込められています。

「教育界の国宝」と謳われた東井先生に、
 親と子の本当の出会いを学びます。


──────────────────────
  今日の一言 平成26年5月15日(木)
──────────────────────


 おかあさん、
 ぼくはりっぱなひとになりますから、
 いつまでもいつまでも、
 ぼくのむねの中から
 どっこへもいかずにみていてください。


   ――『子どもの心に光を灯す』(東井義雄・著)


      * * * * *



 今、この「出会い」が
 粗末になっているのではないでしょうか。

 “出会う”ということは、
 ただ顔と顔とが出会ってる、
 こんなのは“出会い”のうちに入らないのですね。

 だいぶ前になりますが、
 全国の小学校の子どもたちから、
 「お母さん」という作文を集めたことがございます。

 その時に、横須賀市の沢山小学校の、
 浦島君という一年生の男の子の作文が入選しました。

 ちょっとそれをお聞き下さい。


 ○


 『ぼくのむねの中に』


 「おかあさん、おかあさん」
 ぼくがいくらよんでも
 へんじをしてくれないのです。

 あのやさしいおかあさんは、
 もうぼくのそばにはいないのです。

 きょねんの12月8日に、
 かまくらのびょういんで、
 ながいびょうきでなくなったのです。


 いまぼくは、たのしみにしていた
 しょうがく1ねんせいになり、
 まい日げんきにがっこうにかよっています。

 あたらしいようふく、ぼうし、
 ランドセル、くつで、
 りっぱな1ねんせいを
 おかあさんにみせたいとおもいます。

 ぼくはあかんぼうのとき、
 おとうさんをなくしたので、きょうだいもなく、
 おかあさんとふたりきりでした。

 そのおかあさんまでが、
 ぼくだけひとりおいて、
 おとうさんのいるおはかへ
 いってしまったのです。

 いまは、おじさんおばさんのうちにいます。

 まい日がっこうへいくまえに、
 おかあさんのいるぶつだんにむかって、
 「いってまいります」をするので、
 おかあさんがすぐそばにいるようなきがします。

 べんきょうをよくしておりこうになり、
 おとうさんおかあさんに
 よろこんでもらえるようなよいこになります。


 でも、がっこうでせんせいが、
 おとうさんおかあさんのおはなしをなさると、
 ぼくはさびしくってたまりません。


 でも、ぼくにもおかあさんはあります。


 いつもぼくのむねの中にいて、
 ぼくのことをみています。

 ぼくのだいすきなおかあちゃんは、
 おとなりのミイぼうちゃんや、
 ヨッちゃんのおかあさんより、
 1ばん1ばんよいおかあさんだとおもいます。


 おかあさん、
 ぼくはりっぱなひとになりますから、
 いつまでもいつまでも、
 ぼくのむねの中から
 どっこへもいかずにみていてください。


 ○


 と結んでいるんですが、
 この浦島君は、
 もはや世界中のどの国を探しても、
 お父さんの顔にも、お母さんの顔にも、
 顔と顔の出会いのできない
 しあわせの悪い子どもです。

 しかし私は、
 浦島くんはしあわせ者だと思います。

 なぜか、いつでも、どこへ行っても、
 離れてくださらんお母さん。

 ミイ坊ちゃんのお母さんや、
 ヨッちゃんのお母さんより、
 もっともっといいお母ちゃんと、
 いつでも、どこでも一緒だからです。


 これが本当に出会ってる姿でしょう。

 これに比べましたら、
 毎日お父さんやお母さんの顔に
 出会っている子どもの中にも、
 お父さんお母さんの
 “お心に出会う”ことのできていない
 子どものほうが、
 しあわせの悪い子どもかもしれんと思いますね。


 しかも、この“出会い”がある限り、
 浦島君のこれからはじまる
 長い人生の間には、いろんなつらいことや、
 苦しいことがやってくるに
 違いがございませんが、
 浦島君なら、どんな難儀、苦労に出会っても、
 この、お父さんお母さんとの
 “出会い”をふまえて、
 強く生き抜いてくれるに違いないと思いますね。
  


 『子どもの心に光を灯す』(東井義雄・著)
  → http://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1257


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出会い と 出合う の違い。




出会い、は

簡単にできる。

生きてればそれは毎日行われてる。

当たり前すぎてつつつーーって通り過ぎたり見過ごしたり

きっとそれは何百人という数に、なるんだと思う。


逆に言うと

ひとりひとり覚えていたり気にしていたら

疲れちゃって神経マヒしちゃうから

つつつーーーっでいいんだけど。




でも、


出合う


ということは

簡単ではない。



合う 人 と 出逢う ことって 本当に難しい。


と、思う。




合う って いう その感覚も

人それぞれ違うと思うけど


わたしの場合


波長

話すスピード

雰囲気

笑顔

ことばづかい

心づかい



物を丁寧に扱う

空気感

想い

感性



オーラ



こういう感じ


合う というか うん あれだな



気持ちいいな この人

とか

心地いいな この人

とか


もっと一緒に居たいな

とか

もっと知りたいな

とか


そういう 自分の中から自然と 満ち溢れてくる

「もっと」という 想い であり、願い であり



性別を超えた 人をも超えた


ずっとずっと 繰り返し 輪廻してきた

魂そのもの




魅かれる


そういう感じ



あ、この人、

と思う瞬間


それは決まっていちばん最初、なんだけど


その瞬間が わたしにとっての 「合う」


に繋がってる



そう、思います。



そして、それって

実際に会える人 会えた人

実際には会っていない人 まだ会えていない人


ということは全然関係ない。



魂 っていうのは

あらゆるところから

見えるものだから

感じるものだから


実際に会ってるか会ってないか


ということは 関係ないし ちっとも問題じゃ ない。


清らかで丸くあったかい心そのものに

寄り添え合えるか どうか

それが それだけが 全て。



でも、これは、あくまでも「わたし」の場合、

なので

全ての人が

そう、この日記を今読んで下さってる方、貴方、貴女、あなた、



わたしと同じように 思って下さったり 分かるって言って下さったり


ということは無い ということ

もちろん分かっています。



だって それが 自然なこと だから。



ひとりひとり違って当たり前


わたしはこうなの

あなたはそうなのね

ふふふ


って 笑ってお話できる


それが いいな、って思うんです。


そういう関係が いいな、って思うんです。



違う ということを 突つき 抉り 傷つけ 責め 罵り 蔑み

するんじゃなくて

違い を 認めて 見守る 

最低限の範囲でケガだけはしないように、って見守ってくれる

いざってときは助けるよ!ってガッツポーズと笑顔を向けてくれる

そういう人たちと ずっと 繋がり続けられたら 素敵だな、って思うんです。


もちろんわたし自身も、誰かにとって、大切な人にとって、

そういう人で そういう存在で 在り続けたいな って思っています。



もし、こんな風に、同じように、思っていただける方がここにいらしてくれたら

そして 既に、出合っていただけていたら



それは 

とってもとっても

嬉しいこと



とってもとっても

素敵なこと





生きていて良かった、

生きていて良いんだ、

って


思える



とってもとっても

素晴らしいこと



出合って下さった方

これから

出合って下さる方


本当に、どうもありがとうございます☆





【追加】


あ、この人、

って思う瞬間

出合いたいと思う人に出合えた瞬間に

わたしの中に流れる音楽



これ、です、やっぱり。


「きときと」



この映像も何回観ても本当に気持ちいい。清々しくて、泣けてくるほど焦がれる。


『おおかみこどもの雨と雪』


島根の雪景色

一緒に、

見ようね。
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# by w-rainbow-rieko | 2014-05-15 18:47 | 心に響いたこと




そう思えたら 昨日のことも 今日のことも まだ 救われるね。




──────────────────────
  今日の一言 平成26年5月13日(火)
──────────────────────


 いま皆さんは苛酷な運命に
 打ちのめされそうになっているかもしれません。

 しかし
 “運命は苛酷だが、摂理は温かい”
 という言葉もあります。

 やがて苦しみの本当の意味を
 知る時が来ると信じてください。


   ――『幸せになるキーワード』(鈴木秀子・著)


      * * * * *


 私のもとには、悩みを抱えた多くの人たちが
 相談に来られます。

 最近、様々な問題行動に走る
 子どもさんを抱えた両親を
 対象としたセミナーを開催しました。

 一人ひとりの声に耳を傾けると、
 非行や病気、家庭崩壊など
 抱える問題はどこも深刻です。

 セミナーの席で、
 “運命は過酷だが、摂理は温かい”
 という言葉を紹介しました。


 「いま皆さんは苛酷な運命に
 打ちのめされそうになっているかもしれません。

 しかし
 “運命は苛酷だが、摂理は温かい”
 という言葉もあります。

 やがて苦しみの本当の意味を
 知る時が来ると信じてください」

 とお話ししました。


 摂理とは神様の計らいのことです。

 耐えがたい苦しみの中にも、
 人智では計り知れない天の意思がある。

 そうお伝えすると皆さんは口々に
 「そう信じたい。
 そう信じなくては生きてはいけません」
 と話されていました。


 その中の一人に、
 北海道から来た方がいらっしゃいました。

 その方は、
 秋葉原で無差別殺害事件が起きた、
 どこかで女子高校生が殺された
 というニュースを耳にするたびに、
 家出をした息子さんが
 犯人ではないかという思いに
 苛まれたというのです。

 息子さんは鬱病で、
 家出を繰り返し、そのたびに両親は
 いてもたってもいられないほど
 心配されていました。

 ところが、セミナーを終えて
 北海道の自宅に戻ると、
 驚いたことに一か月ほど
 家出をしていた息子さんが帰っていたのです。

 「どこに行っていたの? 心配したじゃない」

 という問いかけに息子さんは答えます。


 「家を出て困ってしまった僕は、
 食べるために青森で日雇いの仕事を始めた。

 でも不思議なんだ。

 この1か月間、
 僕は鬱病の薬を一回も飲まなかった。
 そして誰にも迷惑を掛けなかった。

 もしかしたら、
 もう薬を飲まなくても
 生きていけるかもしれない。

 ただやはり心配だから、
 お医者さんに一度相談してみたいと思っている」
 と。


 閉じこもりがちで、ろくに会話もしなかった
 1か月前の息子さんとはまるで別人のような
 しっかりした話しぶりだったといいます。

 殺人事件が起きたと聞けば、
 犯人が息子ではないかと思い、
 まさに運命は苛酷だと呪っていたのに、
 何の計らいか、
 見事に立ち直って帰ってきたことに、
 ただただ感謝の思いが溢れたというのです。

 家出という厳しい状況が、
 息子さんの自立を促し、
 大きな人生の転機となったのです。

 その方がお電話で
 「“運命は苛酷だが、摂理は温かい”
 という言葉の意味を
 垣間見たような気がします」
 としみじみと話されていたのが印象的でした。

 人生に苦難が襲ってきた時、
 その本当の意味を知る時が来ると信じることは、
 同時にいま目の前にいる人を信じて
 絆を深めていくこととも繋がって、
 周囲によき影響を及ぼしていくと
 私は確信しています。



『幸せになるキーワード』
 → http://online.chichi.co.jp/products/detail.php?product_id=1142
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# by w-rainbow-rieko | 2014-05-13 10:07 | あれこれ雑記



今日、教室で会員さんと話してて


あぁ わたしって 今


そんな風に思ってるんだ

こんな風に考えてるんだ


そういう風に、生きたいんだね





自分自身のことを 

なんか 変なんだけど

微笑ましく 感じた。



それは、こういうこと。



暮らしたい場所

住みたい町

を まず見つけて

そこで仕事を探す

そして

その地で 

大好きな人と

手をつないで

風を感じて

笑顔で

生きていく



そんな そういう 生き方

かっこいいと

わたしは

そう 思っています。





羊毛とおはな 『手をつないで』


「この世のすべてはいつか終わってしまうのかもね。
 だから、本当の君を感じていたいんだ。」



「ポケットに手を突っ込んで不機嫌な君」



「もうすっかり春なんだから、そのトップコートから手を出してごらんよ。」



「デイジーの香りにもうまく笑えないようなら、地図にない町へ歩いておいでよ。」



「地図にない町へおいでよ」



「風に揺られて歩いておいでよ」



「ツユクサを踏みしめ クヌギの森を抜けたら」



「僕がわかるはず」



「ようやく会えた。町は、もうそこなんだ。」



「僕の名前? 好きなように呼んでくれればいいよ」



「風に耳をすませてごらん。雲の切れ間から、金色の陽が差し込んでくる。」



「風を感じてごらん。ゆっくりとカラダが溶け出していくでしょう。」



「回れ、回れ。」



「君の涙も小さな罪も 過去へと飛んでいくよ。」



「風に揺られて手をつなごう」 



「踊れ、踊れ。」



「大げさな愛も作り笑いも必要ないんだ。
 言いたいことは分かっているよ。
 風に揺られて手をつなごう。」



「余計な言葉はいらないから」



「風に揺られて手をつなごう」



「僕らはいつかすべて忘れてしまうのかもしれない」



「それでも、この掌のぬくもりは本当なんだ。」



「言いたいことは分かっているよ。
 風に揺られて手をつなごう。」



「手をつないでいこうよ、いつの日も、そばにいるから。
 今日から 君も 僕も ひとりじゃないからね。」



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# by w-rainbow-rieko | 2014-05-04 21:35 | 伝えたいこと


この曲も尺八バージョンで聴いてみたいな。


手嶌葵  『虹』 ←リンクしています。


丘に咲く野の花
足もとで揺れた
雨のあと 光が
心まで届いた

道の向こう 明るい
歩いて行けそう
思い出に 吹く風
今 頬にそよいだ

空には
生きている 叶える
虹が微笑む
胸には かけがえのないもの
守ることを

なくさない 私のたからもの
かがやく

草の実は 宝石
夢見る力を
木漏れ日は 歌声
世界中に響いた

遠くで 傷ついてひとりで
迷うときにも
見上げれば その両手広げて
虹が光る

透き通る思い
すべて愛を育てて

空には
生きている 叶える
虹が微笑む
胸には かけがえのないもの
守ることを

なくさない 私のたからもの
かがやく

この胸に かがやく
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# by w-rainbow-rieko | 2014-05-02 22:27 | 音楽


いつも、仕事が終わって帰るときに

「今から帰るー」と母親に電話をしているんですが

それは、ひとり暮らしを始める前から

ひとり暮らしを始めてからも

ずっと続けていることなんですけど

昨日25日は仕事終わってから尺八の山口整萌さんのライブだったので帰るのが遅くなるし

「明日は今から帰るコールはしないよー」

と、一昨日の電話で伝えていて

なので、今日は1日ぶり(こういうのって2日ぶりって言うのかな?)に

母に電話をしたわけです。


いつも通り

「今から帰るー」と開口一番言うと

これまたいつも通り

「お疲れ様ー」と。

そしてその次に聞こえてきたのが

「昨日のライブ楽しかった~?」

でした。


「楽しかったよ~」と言ったら

「うんうん、そっか、良かったねー!」

そして

「楽しいこといっぱいしてね!」と。


いつもそんなこと言わないのにどうしたんだろう?と思い

「何で??」って聞くと

「あんたいつも仕事と家の往復ばっかりやん」って。

「仕事して、家のことして、それだけやん」って。

「楽しい!と思うことどんどんやっていきや!」って。



これってきっとお母さん、心配してるってことなんだろうな、って思った。

「心配してる」っていうことばは使わず(多分わざと使わないようにしてるんだと思う)

他のニュアンスで伝えようとしてくれてるんだな、って、思った。


お母さんが思う「心配」。

それは、言われなくても、分かる。

もちろん、分かってる。

そんなの、当たり前のように、分かってる。

それは、色んなこと。

そう、いろーんなこと。


うん、分かってるよ。

分かってる。

ごめんね。お母さん。



なんか、いかんな、

泣けてきた。。。





でも、その電話のときは、こう答えました。

すぐに、迷わずすぐに、こう答えた。


「全部好きなこと自由にやってるだけだもん、これだけで十分楽しいよ!」って。


そう言ったこと、言えたこと、

これは本当のこと。

本当に本当のこと。



「そっかそっかー」とは言ってくれたけど

この即座の返答で少しは安心してもらえたのかな

そうだったら、いいな



今、心から 思っています。



29.30日は実家に帰ることにしました。

13日に帰ったときに半袖を持って来なかったので(荷物が多すぎてもう入らなかった。。)

それを取りに行きたいから、って帰る理由としてはそう言ったけど

本当はちょっと早い『母の日』をしようと思って。

29日、洗濯と掃除した後、帰る荷物まとめて

大阪でお花とケーキを買いに行って、

その足で奈良に帰ります。(もちろんプレゼントのことは内緒!)

あ、お母さんの好きな徳永さんのCDも買ったのでそれも一緒にね!

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24日の朝に撮った近くの公園にあった木に咲いていた花の写真。

キレイでかわいかったんだけど、何の花か分からなくて

そしたら知り合いの人が「多分ハナミズキだよ」って教えてくれて

ネットで探してみたらやっぱり「ハナミズキ」でした☆


そしたら昨日のライブで偶然にも整萌さんが演奏してくれたんです、『ハナミズキ』。

わ~~!!すごいシンクロ~! って思いました!

尺八とお箏とピアノとパーカッションの『ハナミズキ』

とってもとっても良かったです(^^)



徳永さんと一緒に歌ってるバージョンがありました。

『ハナミズキ』



ちなみにこの一青窈さんの『ハナミズキ』は

母親が娘のことを想う唄、だそうです。(つくったきっかけは9.11のあのテロ事件とのことです。)

それを知ったときから、聴く度に、母のことを想うようになりました。


お母さんの娘で良かったと 本当に、本当に、思います。


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一青窈  『ハナミズキ』


空を押し上げて
手を伸ばす君 五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと終わりますように
君と好きな人が 百年続きますように

夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が 百年続きますように

ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ

薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと終わりますように
君と好きな人が 百年続きますように

僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと止まりますように
君と好きな人が 百年続きますように

君と好きな人が 百年続きますように。


---------------------------------------------------------


お母さんもきっと、そう思ってくれてると思います。

君と好きな人が 百年続きますように。

って。


話してないけど

きっと

分かってるはず。


何も言わなくても、きっと、絶対、全部、分かってくれてるはず。


お母さん、ありがとう。

ありがとう。

ありがとう。


ありがとう。
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# by w-rainbow-rieko | 2014-04-26 21:41 | 伝えたいこと




◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」-----2014年4月15日 ◆


伊與田覺(いよた・さとる)氏、99歳。


昭和の大碩学と謳われ、
歴代首相や財界リーダーたちから
師と仰がれた安岡正篤師の高弟です。


99歳のいまも3時間もの講義をこなし、
背筋のピシッとした立ち居振る舞いは
いささかも老いを感じさせず、
感動を禁じ得ません。


矍鑠たる人生の達人が語った
新入社員に贈る「仕事の心構え」とは――。


┌──────今日の注目の人───────┐



   「学び、そして覚ること」
        

   伊與田覺(論語普及会学監)
   
      
  ※『致知』2014年5月号
    連載「巻頭の言葉」


└────────────────────┘

私たちが天から与えられた「性(せい)」、
すなわち各人固有の特質を存分に発揮して
人間として完成するには、
その目標に到達するためのルール、
つまり「道」を知らなければなりません。


私たちに道を教えてくれるのが、
優れた先人です。


生きながらにして道を悟り、
人間完成に近づいた人が、
後から来る人のために残した道標が「教え」です。


私たちは、優れた古典を通じて
先人の教えを素直に学ぶことによって
道を知り、道を歩んで性に到達することができるのです。


しかし、道には近道もあれば遠回りもあり、
また、自分の足の力によって歩ける道も異なります。


孔子やお釈迦様の足と、
私たちの足が違うのは当然です。


ゆえに、学びを重ねていく中で、
自分はどの道を歩んでいくことが
一番適切かが分かることを「覚(さと)る」といいます。


「覚」(覺)という字は冠の下に見ると書き、
自分で見てちゃんと確かめることを表します。


学んだだけでは不十分であり、
学んだことを自分が納得、理解することによって、
天から与えられた道を自分の足で歩いて行けるのです。


覚るという言葉にはいろいろな漢字が当てはまり、
これらを見てゆくと、その真意が見えてきます。


「暁(あかつき)」という字を
「暁(さと)る」と読むのは、
明け方になって日が射してくると、
それまで暗闇で見えなかったものが
ハッキリと見えてくるところからきているようです。


「了(お)わる」という字を
「了(さと)る」と読むのは、
了わりを求めて歩み続けるところに
人間の尊さがあることを示唆しているように思われます。


また、「悟る」の五は五本の指であり、
「吾」はそれを口に当てて黙っている様子を表しています。


口では話せないのが本当の覚りの境地なのです。


商売のコツを覚っている人が、
いくら言葉を尽くして説明しても、
相手はその真意を本当に理解することはできないでしょう。


そのコツは、その人が成功したり、失敗したり、
様々な体験を重ねていく中で会得したものであり、
曰く言い難しなものだからです。


会社の仕事も同様です。


新入社員は新しい情報によく通じているでしょうが、
だからといって仕事を十分にこなし切れるわけではありません。


まだ仕事のコツを覚っていないからです。


その意味では、日々仕事に真剣に打ち込んで
キャリアを積み、コツ(骨)に近づいてゆくことはとても大切です。



-------------------------------------------------------------------



漢字って、ホントに面白い。

そういや、中学のときのクラスメートに悟くんっていたなぁ。

宗本悟くん。

細っこくて色白の恥ずかしがり屋さんで、女子が声掛けただけで顔真っ赤にしてたなぁ。


あ、ちなみに、覚と了もさとるって読むこと、今日初めて知りました。

またひとつ賢くなりました~感謝☆
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# by w-rainbow-rieko | 2014-04-15 08:28 | 心に響いたこと



◆ 致知出版社の「人間力メルマガ」-----2014年4月7日 ◆


修験道の中で最も過酷な行の一つとされる
「大峯千日回峰行」。


標高364メートルにある蔵王堂を
午前零時半に発ち、延々24キロの険しい山道を登り、
標高1719メートルの大峯山頂に登頂した後、
同じ道を引き返し15時半に帰堂。


そして、自ら掃除洗濯、
翌日の準備をして19時には就寝し、
また23時半に起床して山頂を目指す。


それを5月から9月までの開山期間、
9年の歳月をかけ、1000日繰り返すという荒行です。


途中でやめる場合には、
自ら死を選ばなければならないという厳しい掟があり、
吉野山金峯山寺1300年の歴史で
この荒行をクリアしたのは僅かに2人だけ。


その一人、平成11年に30歳で見事満行を果たした
慈眼寺住職の塩沼亮潤氏が語った
「本当の心の幸福を掴む秘訣」とは――。


┌─────今日の注目の人───────┐



  「本当の心の幸福を掴むには」
        

   塩沼亮潤(慈眼寺住職)
   
      
  ※『致知』2014年5月号
    連載「致知読者の集い」


└───────────────────┘


人間とは本当に不思議なもので、
苦しい環境にあっても
心の中は感謝の念に包まれている人がいる一方で、
何一つ不自由のないように見える人が
実は心の中に苦しみを秘めていることもある――。


そこで本日は、苦と楽を超えた本当の心の幸福とは
何だろうということを、皆さんとともに
尋ねていけたらなと思っています。


こうして皆様の前に立たせていただいている私はといえば、
実は7年ほど前まで人前でお話しするのが大変苦手でした。


しかし、一所懸命修行に勤めていると
不思議なご縁に恵まれて、
ある尊敬する方から、


「あなたが体験したことを
 言葉に託して表現しなさい」


と世間に引っ張り上げていただいたんですね。


その出逢いをきっかけに、
いただいたお仕事はすべて天命だと思って
全国を息つく間もなく講演で駆け回るようになりました。


ただ、世間的な注目を浴びるようになると
驕る気持ちも起こってまいります。


だから私は


「一に勤行
 二に掃除
 三に追従(人が喜ぶことをする)
 四に阿呆(素直になる)」


というお師匠からいただいた教えを戒めとして、
「自分はあくまでお坊さんなんだぞ」と
絶えず自分の心を本来の勤めに引き戻してもいたんですね。


この7年間で様々な経験をさせていただいて分かったことは、
日常のすべてが自らの心を成長させる修行となってきたということです。


あれが好き、これは嫌いというような
わがままな心をコントロールして、
嫌なことでも逃げ出さず、
常に前向きにトライしていくことを積み重ねてきた結果、
こうして皆さんの前でお話しするという
尊い仕事をさせていただけているのだと感じています。


それは仏道修行でも同じです。2500年前にお釈迦様はこうおっしゃいました。


厳しい状況に自らを置き、わがままな心を封じ込めれば、
「悟り」という状態に至る可能性がある、と。


私はこの言葉を知った時に大変感動いたしました。


延暦寺の開祖・最澄様も同じようなことをおっしゃっていますね。


「最下鈍の者も十二年を経れば必ず一験を得る」


どんなに愚か者でも、情熱を持ち
一所懸命一つのことに取り組めば、
必ずよき結果が開けてくる――。


だから私は、特に若い人には
苦労は買ってでもしなさいとお伝えしています。


自分を厳しい状況に置いていると、
ある日不思議なご縁に恵まれて、
パッと運命が花開くチャンスが訪れる。


要するに、人生というのは、
そのチャンスをしかるべきタイミングで掴み取るべく、
掛け替えのない日々の出逢いを大切に、
絶えず修行を怠らないことにあるのだと思うのです。


---------------------------------------------------------



「最下鈍の者も十二年を経れば必ず一験を得る」


どんなに愚か者でも、情熱を持ち
一所懸命一つのことに取り組めば、
必ずよき結果が開けてくる――。



12年。

わたしにとっては今年がその年です。


この12年目の今年をひとつの区切りとしたいと、思います。
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# by w-rainbow-rieko | 2014-04-07 09:10 | 心に響いたこと